TAKEO タケオ  「新倉壮朗の世界」

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2009年 12月 23日

タケオ御輿

大久保さん曰く。

  アフリカンのリズムが進んで行く感じって言うのは、日本で言えば
  お神輿が人間に棒を持ってもらって進んで行く感じにも似ている。
  まわりのヒトたちとチカラと呼吸を合わせないと、前には進めない。

  マリの田舎の方に行くと、グリオが職業として成立しない地域が
  あるらしい。むかし、『事業仕分け』に負けたのだろう(嘘)。
  『街の消防団のような存在』との説明を受けた。消防署ではなく。
  非生産的な専門職が存在し得ないくらい、生活が厳しいのだろう。

  ともあれ、被差別階級ともいえるグリオ(自分たちの部族の歴史を語る
  『語り部』)の、自らの存在意義を掛けた血のにじむような努力の末に
  取捨選択されて来た伝統的なアフリカンのフレーズの組み合わせは、
  かゆいところに手が行き届き過ぎていて、かなり簡単に楽しくなれる。

  元々のグリオの使命は、冠婚葬祭を盛り上げることだったはず。
  俺自身の理解で言えば、ジンベが楽しいのはお祭りの道具だから。

  日本でもお祭りを商業的なパフォーマンスとして考えるヒトもいる。
  そこら中で『阿波踊り』だったり『ソーラン節』だったりを見れるし、
  和太鼓や三味線をステージで披露するプレイヤーやグループもあるけど。

  『非生産的な専門職』でも、上手く回れば食い扶持には困らない国、
  俺も生産的な活動はしていないにも拘らず、喰うには困っていない。
  良い時代・良い国に生まれた、と感謝するべきなのか、どうなのか。

  でも元来お祭りは、日常生活でギクシャクしたり、疎遠になったりした
  人間関係を、非日常の『お祭り騒ぎ』の日の『舞台のウラと表』とを
  支えあうことで、その地域におけるキズナを互いに確かめあうことが
  主たる目的で、それ以上でも以下でもない。それが伝統的なお祭りの意義。

  神輿、山車、燈籠など、祭りの盛り上げ方は伝統的なお祭りでも
  本当にいろいろある。でも地味な『おわら風の盆』の方がド派手な
  『ねぷた』よりお祭りとしてぜい弱だと言えるヒトはいないと思う。

  また例えば神輿を担ぐ『棒のポジション』でも、かかる重さの違いや
  左右の揺れの大小で、負担の大きさに違いもあるし、平等ではない。
  『こうでなくてはいけない』というルールは、少ないこともお祭り。

  ただそのお祭り神輿が進んで行くためには、少なくともその神輿を
  動かしているあいだは、同じ気持ちをシェアしなくてはならない。

  さもなければ、ケガをしますから。肉体的にも、精神的にも。
  さういう気持ちでいれるヒトと、同じ神輿を担いで楽しみたい。


タケオ御輿を担いでくれたマライカのメンバーに感謝いたします。
それなりのりりしい姿でお祭りが出来たかなと思っています。

タケオ御輿_b0135942_10191450.jpg
                                                        足立剛一  撮影                       

by takeo_yume | 2009-12-23 10:20 | 日記


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